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●エコパック四尾連湖 5月29日

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 四尾連湖(しびれこ)は、かつて「志比礼の海」(しびれのうみ)とも「神秘麗湖」とも書かれた、富士八湖の一に数えられる雨乞い伝説のある湖。標高850mの山並みの懐に、青い滴を落としたようにひっそりと佇む小さな山上湖である。下界の喧騒とは無縁に、静謐な景観を今にとどめる希少な湖である。
 エコパック四尾連湖は、環境講話を基調に湖畔清掃(ハイキング)、ゴミをリユースした造形ワークショップ、繭の舟での漂流体験をパックして、環境を再考していこうとするイベント。湖畔にたたずむ水明荘には、子どもから大人までたくさんの参加者が集合した。
 環境講話では、地球温暖化防止推進委員の望月將宏氏による目から鱗の話。その後、周囲1㎞ほどの湖の湖畔清掃。ゴミはほとんどなく気持ちのよいハイキングとなる。湖面にはオタマジャクシの大群。オイカワやブラックバス、鯉などが気持ちよさそうに泳いでいる。造形ワークショップ担当は作家の柏原恵美さん。この時に使われた素材となるゴミは、「円環―命脈」プロジェクトの長い移動期間中に各地で回収したゴミが主なもの。海のゴミや川のゴミである。子どもの無垢な感性には今さらながら驚かされる。それぞれ思い思いに形づくり、彩色し、美しい漂流物体として「蘇生」される。このワークショップと平行するように、湖面では繭の舟での漂流体験である。船底には強化ガラスの窓が取り付けられていて、水中観察ができる。時折フタを閉じて透きとおった光の繭の中で瞑想にふける。何ともいえない光景だ。
 ともあれ、天候にも恵まれ和やかな1日が過ぎた。造形ワークショップの作品は、最後は湖面に放たれ、または釣り糸で連結し繭の舟によって漂流の旅へ出る。まるでカルガモの親子のようで滑稽で愛くるしいフィニッシュ。
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●なかとみ現代工芸美術館漂泊 6月5日

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 なかとみ現代工芸美術館を有する身延町和紙の里は、すぐ隣に富士川が流れ、川の恵みに反映されるかのように和風の館が存在感を持って立ち並ぶ。そもそもここは全国的にも有名な西島和紙の里。昔から川との共生を基盤に生活が成り立っていた場所である。和紙の里内には気持ちのよい芝生広場が広がり、赤く色づいた親玉と芝生の緑が美しい対比を見せ、存在感を示している。ここでしばしの漂泊となる。芝生面にアンカーを打ち、ピアノ線で固定。設置後、いたわるような感覚で薄い和紙を貼り、柿渋を塗布し新しい皮膚をまとってあげた(再生パフォーマンス)。
 ちょうど館は工芸の特別展を開催中で、作業中にも多くの人が関心を示してくれた。現代美術はどれほど大衆に浸透しているのだろか。よく美術作品は考える種の「装置」といわれるが、それを得ている方は私に語りかける前にまずは自身で思考してみているようだが、たいていの方は、直接私に「これは何ですか?」となる。この辺に作品とのつきあい方の差があっておもしろい。中には普通ではない光景に笑ってごまかす人や、怪訝そうに眺めている方までさまざまだ。決して私は普通の行いをしているわけではない。普通ではないことを提示しながら感性に呼びかけている。これがアーティストとしての仕事である。

●富士川中流・富士橋たもと 6月5日

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 山梨県芸術の森を旅立った親玉は、次の漂泊先であるなかとみ現代工芸美術館に向かう途中で富士橋(鰍沢町)のたもとで記録撮影。富士橋のたもとは伸びやかな農耕地帯となっていて、気軽に河川敷まで下りられる格好のポイント。流れも緩やかで、それゆえよく川下りの起点とされる。ちょうど橋から下を眺めると中州があらわれていて、そこへ親玉を配置した。このすぐ上流の富士川大橋あたりで、笛吹川と釜無川が合流し、富士川と名称を変える。つまり、富士川でいえば最上流部ともなる。2週間前にはこの場所を繭の舟で下ったことが思い起こされる。川の流れを見ていると、また漂流してしまいたくなるから不思議だ。

●富士川河川清掃(エコパック四尾連湖素材収集) 5月25日

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 繭の舟で富士川漂流をしている際、天神の滝に差しかかる手前の河原にゴミが集積する地帯が確認できた。滝の手前には立派な岩畳があり、大きな渦を巻くように淀んだ淵がある。上流から流れてきたゴミはこの淵で重なり合い、小さなゴミの島となってある意味美しく旋回している様が印象的だ。その上手には、左岸に打ち寄せられたゴミが河原に堆積している。これらのゴミを今週末に実施する環境ワークショップ(エコパック四尾連湖)で活かそうと早速収集することにした。昨日までの大雨のせいもあり、河原に行くには茂みをかき分け、小さな流れを渡渉しなければならなかった。それでも何とか到達。ゴミの山がこの時ばかりは宝の山のようでもある。ペットボトルや食品トレー、パック、ボールや靴、ぬいぐるみまで、どこからやってきたのだろうか、多種多様のゴミにかこまれる。豊かさの残骸。感慨深いものがある。余談であるが、収集の際に車の鍵を紛失してしまい、暗くなるまで今度は鍵探しとなってしまった。結局見つからず、翌日21,000円を払って現地で鍵を作ってもらった。よい行いが裏目に出てしまった。

●富士川漂流プロジェクト 5月22日

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 富士川は水を蓄えておくことが苦手な川だ。三大急流ゆえの高度差を持つからだ。当日の天候や前日までの雨量が気がかりである。5月は雨が少なく、当日は極端に水量が少なかった。少ない分には安全性という点では保証されるが、たび重なる座礁は覚悟の上。
 5月22日午前10時8分。108の煩悩を背負うかのように市川三郷町の桃林橋を出航。信濃川の経験がある分、精神的にも気が楽だ。追走してくれる車は三台。地元ゆえに声援を送ってくれる方々も駆けつけてくれ、見送られながらスムーズに流れ出す。今回は笛吹川からはいって10㎞先の富士川に合流する計画。総長約30㎞の旅。天気は上々である。
 笛吹川は泥が多く座礁して下りると足がそこに埋まる。途中、鯉や亀に遭遇。得体の知れないぬめっとした長い生き物も見た。牧歌的な風景をしばらく下ると垢抜けた感じの富士川との合流だ。流れはゆったりでだいぶ予定の時間をオーバーしているが、今回はコンセプトである「流される」を堪能しようと漕ぐのを控え、流れに身を任すことにした。各橋や要所では声援を送ってくれる友人の姿に励まされる。身延町役場の河原では、2時間以上遅れている私を昨年まで勤務していた身延高校の教え子が学校の横断幕を広げ迎えてくれた。
 合流はやはりドキドキする。まるで2つの生命体が合わされるかのようである。笛吹川の水を茶色だとすると富士川の水は青緑である。しばらく折り混ざった水の色の中を進むと、砂利に覆われる川底に船の底をこすりつけるかのように進むようになる。富士川にさしかかった証拠だ。水量は乏しいものの優雅だ。流れに身を任せて、時にフタを閉じ、閉じこもったまま水を体で感じていた。併走する国道52号線を走る車の車窓からの視線を感じる。
 鰍沢あたりから山間部に差しかかると、富士川は俄然風情をます。同時に淵や瀬があらわれ、舵取りの技術が要求される。装備しているのは、簡単なオール1対と竹竿一本。淵の渦に巻かれると脱出困難となる。逆に瀬が近づくと「ゴー」という雄叫びが不気味で恐怖すら感じる。瀬にあらわれた巨石を竹竿で突きながら微妙に舵取りするが、最後は船底に身を伏せ、華奢な舟が破損しないよう運を天に任せる。大きな瀬では繭は激しく揺らされ、上から水をかぶることもあった。
 富士川は古の時代は舟が行き交い、川は海と山を結ぶ主要なライフライン。一方で流域はたび重なるはん濫にどれほど悩まされてきたのだろうか。幾多の想いが複雑に交差する。変わらぬ流れの中に内包される川の記憶を読み取りながら、7時間に及ぶ漂流はあっという間に終わった。ゴール地点にはやはり教え子はじめ、大勢の方が私を迎え入れてくれた。
 蛇足であるが、最近思っていることがある。極端にコンセプトを押しつけるような堅苦しさに嫌気がさしてきて作品やプロジェクトの見せ方そのものに表裏の差を入れるようになった。桃太郎衣装の装備であり、繭の舟での漂流行為であったりする。見た方がまずは笑ってくれてよい。笑ったままでもよい。でもちょっと「なぜ?」と思えば自ずと裏側のコンセプトを覗くことになるし、さらに気になる人はプロジェクトの全体像に関心がおよび、見えてくるものや感じ方に深みがますだろう。感性の自在の広がりがある。映画の世界や文学の世界にも共通の要素を感じる。現代美術は確かに深いが、初めから格好つけて難解なコンセプトを押しつけるようなあり方では、社会から美術がどんどん離れていってしまうだろうし、あまりにも自律化しすぎてしまったかつての現代美術の反省点でもある。
 ともかく、漂流という一見滑稽なパフォーマンスは、大勢の関心を呼んだ。

●県立美術館企画展「キュレーターズ・アイ石田泰道展」 5月7日~6月6日

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県立美術館には感謝している。私のプロジェクトにリンクし、独自の企画展「キュレーターズ・アイ」にノミネートいただいた。「共生」の格好の形であるし、作家を生かそうと大切に扱ってくれる気持ちに感謝感激である。今回の出品作品は繭玉が故郷である新潟に還る際に象徴的に行う「千曲川漂流プロジェクト」に使用する3人乗りの繭の舟をメイン作品に展観している。先行する形で、Stage3「回帰」のプレステージとして発表した。
 ちょうど枝豆を巨大にしたような3つのピットが連結した舟である。クルー3人は「共生」しながら生まれ故郷である十日町市へ還り、めでたしめでたし、となる。舟には複雑にコンセプトが入り込んでいるが、特に気に配慮しているのは外観よりも内部にある。赤く塗装された内部は、実は光が透過し、張りめぐらされたロープが血管にも似た模様になって母体のようなイメージとなっている。母胎回帰の舟でもある。

●県立芸術の森公園 「再生」パフォーマンス 5月16日

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芸術の森に繭玉が結ばれてちょうど1週間、森の木々は緑を濃くし、地面の苔むした湿った緑もいい感じだ。繭玉の表層は日光を浴びながら段々と赤く色づき対照的に映えている。「再生」とは、「風化」に対比させて半ば人為的に行われる。柿渋で皮膜ができた表皮に薄い和紙を貼りあわせていき、新しい皮膚をまとってあげる行為だ。それは「治癒」ともいえる。風化によって剥がれ落ちた分だけ皮膚を再生していく。「円環」というコンセプトに照らしあわせれば、「回帰」であり、再生行為をくり返しながら、物体の皮膚は当初の姿に戻っていく。
 桃太郎衣装に着替え、再生パフォーマンスを行っていると観客が近寄ってくる。興味津々に訪ねてこられる方々や遠くでいぶかしげに見ている方々。何を感じ取っているのだろうか。ふと考えると、そういう方々は私のプロジェクトのごくごく断片に遭遇しているだけであって、おそらく意味がわからないであろう。踏み込んで訪ねてこられた人々には時間を割いて私の想いを伝えるように努めているが、そういう時間はもっとも貴重で大切な時間であるような気がしてならない。
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