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●千曲川漂流プロジェクト 

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8月7日、8日
 分水嶺甲武信岳に水源を発し、多くの支流を集めながら、日本海へその命をはき出す本邦最長の千曲川(信濃川)。その名の通り、大地をなめずり回すかのように蛇行するその姿は、まるで人体の血管を彷彿とさせる。空豆型の舟に閉ざされ、大自然に挑む3名のクルーたち。自然と繋がりながら、人と繋がりながら、そして自分と繋がりながら。その顛末やいかに・・・。
 2日間をかけた千曲川漂流によって「円環―命脈」プロジェクトはしめくくられる。千曲川漂流は「共生」を大テーマにした本プロジェクトの「回帰」ステージに当たる。修行を終えた桃太郎が金銀財宝を抱えて生まれ故郷に仲間とともに帰るといったイメージだ。金銀財宝とはこの場合プロジェクトの成果であり、表面的にいえば108体の繭玉である。  
 かつて対照的といえる信濃川と富士川の70㎞区間ほどを漂流し、今回をあわせると100㎞超。フォッサマグナ往還1000㎞の旅の10分の1を河川漂流によって移動したことになる。今回の旅は、長野県北部の小布施町にある小布施橋たもとを出航し、飯山市の湯滝橋までの34㎞区間。ゴール地点にはいいやま湯滝温泉がある。このコースを2日間をかけてゆったりと下る。
 8月7日、クルー3名をはじめとするスタッフ8名が小布施橋たもとに集結した。絶好の天候。3連結の空豆型をした舟に乗り込み、午後3時に出航。ひとりで孤独に流れていた今までとは違い、3名ともなると楽しい舟旅だ。1ヶ月ほど前、梅雨時に下見にきたときの川の表情とはうって変わって大変穏やかである。序盤のゆったりとした水域では、バランス感覚を確かめたり、3本の特製のオールで方向転換する練習をしながら徐々に川の流れに順応していく。自然は大きく偉大である。クルーたちは必要以上に会話することもなく、むしろ無言に自然界と語り合っているといった風である。心地よいまったりとした時間が続く。日照りは強かったが、川筋には特有の風があって気持ちがよい。出発早々、クルーの1人の「なんだあれ!」という奇声に岸辺に目を遣ると、なんとイノシシが水浴びをしている。私たちに気付くと、逃げるどころか、川を泳いで追いかけてきたのにはびっくりした。
 上今井橋を過ぎ谷間を縫うようになると千曲川の名前のごとく美しく蛇行しながら、同時に多くの瀬も姿をあらわす。最近はネットでも情報を収集することができるが、替佐の瀬とロングの瀬はカヌー仲間を魅了する存在のようである。水面を伝うようにして、遠くからゴーという不気味な雄叫びを感じる。瀬が近づいてきた証拠だ。水平線の遠くに、白く波立つ姿も確認できる。水嵩にも左右されるが、替佐はそれほど難しくなく、むしろ豪快に揺られながら流されていくといった感じだ。しかし油断は禁物。怪しく波立っている箇所には必ず巨石が隠れている。舟を川の流れに水平に保ちつつ、微妙にコントロールしながら流れのままに下っていく。
 替佐の瀬を過ぎてまもなくするとロングの瀬と思わしきエリアに到達。こちらの方が水のパワーがある。石もゴロゴロしていて先を予見した舵取りが生命線だ。いうまでもなく繭の舟は不安定でしかももろい。当たり所が悪かったり水平感覚を失うと一発で破損や沈没の恐れがある。スリルと隣り合わせだからこそ逆におもしろく、無意識に自然界と対峙することになる。大きな石、いや岩といった方がよいかもしれないが、随所に隠れ行く手を阻む。危うくぶつかりそうになり、水面下に黒く不気味にてかるその横っ面を見るにつけ、恐怖感を覚えたものだ。
 私の予想ではおそらく瀬のどこかで夜を明かすことになるだろうと腹をくくっていたが、意外にも順調に流され、目標にしていた古牧橋には明るいうちに到達。ちょうど漂流コースの中間地点を少しばかり過ぎたところだ。陸上隊の誘導で川べりの開けたスポットに幕営することができた。私とクルーメンバーの石原は繭の舟の中で過ごした。入り口となる楕円形の開口部には、切り取られたかのように美しい満天の星空が映り、虫や蛙の鳴き声にあわせて、常時「チャップン、チャップン」と小刻みに舟体に当たる水の心地よい音に、母体に包まれるかのような感覚を味わう。また、ランタンの灯は繭を赤く発光させ、幻想的な光景を演出した。
 2日目、明け方の寒さはこの時期尋常ではなく、幼虫のように体を丸めながら寒さをしのぐ。今日のコースはさして危険な箇所もない。折角の機会、子供も同乗して4名での出航。水の流れや水紋は本当に複雑で見ていて飽きない。淵や瀬はともかく、単純に流れているように見えるところでも水のゆっくりした上下運動が織りなすえもいえない美しい水紋や微少な渦がひしめき合い、まるで宇宙(コスモス)の相似象のようだ。また、流れには法則性があるようで、読み誤ると失敗にもつながる。実際、砂利の中洲に打ち上げられ座礁してしまったこともある。それでも中洲は魅惑的な異空間だ。しばし立ち寄りボーッとした時を過ごした。
 川では時たま釣り人や岸辺で水遊びをしている人々に出会う。カヌーやラフティングが盛んなエリアとはいえ、皆この奇っ怪な舟の形には微妙に反応していておもしろい。立ち寄って話もしたいところだが、すべては流れの中にいる私たちは、悲しいかな下流に流されるだけである。陸上隊から「けっこう早く流れているけど、どんな感じ?」とよく聞かれるが、実際に川の流れの中にいると速度は案外感じない。逆に陸上が流れているのだが、その速さを感じながら流速が推測できるといった不思議な構図である。
 この日は午前中から日光が照りつけ、プラスティック製の繭の中は蒸し暑い。川の水をかけ冷却する。のどが渇き陸上隊にお願いして橋の上からペットボトルの差し入れをヒモで吊り降ろしてもらったが、なかなか絵になる風景だった。
 スタートから3時間ほどたち、そうこうしているうちにゴールであるいいやま湯滝温泉に差しかかる青い橋が目に飛び込んできた。今日もやっぱり速いペース。平均すると、1日目時速6㎞、2日目5㎞。千曲川はゆったり流れているイメージがあったが、そうではない。水量が豊富でしかも深い。どっしりしている分ゆっくりに見間違えてしまうのだ。
 10時30分、温泉左岸にせり出している階段に到着。充実した2日間の幕が閉じた。皆で温泉につかりながら慰労し合った。
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●百八体の繭玉新潟へ還る(大地の祭り) 

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8月
 新潟で開催された大地の芸術祭から早1年。フォッサマグナを舞台に、地と水の脈をむすびながら漂流する繭玉。その皮膚には侘び・寂びの風情が増し、「時」の集積を物語る。また、3月の県内入り以降、各文化施設の森では、「命を紡ぐ」と題したワークショップにより多くの参加者の手によって繭玉が森に浮遊した。風化と再生によって深まる精神性に、人々の「想い」が合わさることで命の輝きが帯びてくる。
 7月27日、富士芸術村に漂泊していた親玉を回収。翌28日には、小淵沢のアルソアの森に常時展示していた繭玉を2台のトラックにギッシリ詰め込み、新潟十日町へ向けいよいよ帰還の旅である。久々の原風景・浦田の丘。のびやかな田園風景。自然と共生する風土、人々の変わらぬ暮らしがあった。ただ、家族共々大変お世話になった地主の小堺光雄氏が逝去され、この帰還を心待ちにされていただけに悔やまれてならない。霊前に線香を捧げ、プロジェクトの報告をする。短いつき合いであったが、天命を全うし召された氏のためにも最高のフィナーレを飾りたいと誓った。
 8月1日、最後の「命を紡ぐ」ワークショップ。参加者5名によって大小108の繭は一昨年同様森の木々にむすばれ、過去最大規模の「連鎖界」が完結した。結びあわさるロープの一本一本には、これまでにくり返された「命を紡ぐ」ワークショップによって生じた無数の結び目がある。それ自体に「行為」の連鎖、さらにいえば「想い」の連鎖、命の「絆」が見てとれる。繭の皮相は風化と再生をくり返し、柿渋色に赤黒く発色。重厚感が増している。
 午前10時に始まったワークショップであるが、夕刻にはすべての繭玉が連結しスズナリに浮遊する。異様な光景がふたたび出現した。

●甲武信ヶ岳パフォーマンス登山 

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7月18日
 プロジェクトも終盤。今月17日に富士川の河口に到達した繭玉は、翌日には甲武信岳に担ぎ上げられた。どうして山に登らなければならないのか。なぜ甲武信岳なのか。私の苦行にも似た行為の中には、「円環」に対する一途な想いが込められている。 中央分水嶺の中でもひときわ特異な存在として名高い甲武信岳は、文字通り山梨、埼玉、長野各県のちょうど境界に頂を有する。千曲川(信濃川)、笛吹川(富士川)、荒川の3つの水源を抱え、それぞれ日本海、大平洋、そして東京湾へと多くの支流を集めながらその命をはき出している。
 とりわけ、信濃川と富士川はプロジェクトの主動脈だ。繭の舟に乗り込んで川を下り、双方の河口をはじめ、流域に繭を配置し記録を重ねてきた。そして甲武信岳を極めることでこれら2つの水脈は見事に結びついてしまうのだ。桃太郎衣装に身をくるみ、繭を背負い、千曲川源流を上りつめる。当日は梅雨明け直後の絶好の日和。すれ違う登山者からの「これ何ですか?」という質問攻めにもすっかり慣れてしまった。中には源流から河口を目指して徒歩と自転車やカヌーで旅しようとする同志にも出くわし意気投合した。歩き始めて5時間ほどであろうか、ようやっと源流到達。美しい樹林帯に守られるように、苔むした谷間から清らかな水がしみ出ている。しずくを飲み、繭を浄め、山頂では繭を抱え上げた。感無量の瞬間。河口と源流が結ばれ、信濃川と富士川がひとつとなった。

●富士芸術村 

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7月17日
 富士川河口に漂着した繭はその日のうちに富士市にある富士芸術村に運ばれ、そこでしばしの漂泊だ。富士芸術村は築50年ほどの木造2階建て、入母屋造りの昔懐かしい大変情緒あるれる空間で、広く市民に開放されている。行くたびに子どもたちのワークショップで賑わいを見せ、活気を感じる。村長を名乗る漆畑氏にいわせると、今は過渡期でもっと多くの方に有効活用してもらい、富士市のアート拠点にしたいとのこと。
 今回、屋外の親玉展示を中心に屋敷内すべての空間を個展会場にさせていただいた。

●富士川河口漂着 

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7月17日
 日本一広大な面積を持つ富士川河口の周辺は、緑地公園となっており人々が憩う活気ある場だ。その公園の奥から浜辺に続くダートな轍が伸びており、だだっ広い静かな砂浜が広がっている。ヒルガオなどの浜辺に特有の植物が根をはり、幾人かの釣り人と、オフロードを楽しむバイカ―がいるだけで、後は波の音だけが小刻みにこだまする。海はいつ来てもいいもので心が洗われる。
 さて、7月17日の昼。ちょうど梅雨明け初日の絶好の日和。澄みわたる空の下、フォッサマグナの終着地点と定めている富士川河口に親玉が漂着した。しばしぼーっと海を眺めながらこれまでの足取りを思い出し、感慨にふける。走馬燈のように思い出される記憶の断片が懐かしい。繭を遠目に見つめていると、一人の釣り人が物体ににじり寄り、空には怪しい物体の正体を確かめようとしたのか、パラグライダーが接近してくる。繭は気になる存在のようである。時を忘れ、オブジェから遠ざかって流木拾いに熱中してしまう。繭の方に目を遣ると、2人組の海男が繭の戯れている、よく見ると表面に巻いてある縄をむしり取っていた。しまった!慌てふためき、しかし冷静に「こんにちゎ!」と怒鳴り走り寄って静止させる。聞くと、漂流物にしては変だし、でも車の邪魔になるから引っ張って持っていこうとしていたようである。間一髪とはまさにこのこと。無残に引きちぎられた縄を整え、これもエピソードとしてはおもしろいと自身を慰めた。それにしても、オブジェに穴を開けられなくて良かった・・・。後日職場のメールを見るとその海人からの謝罪のメールが入っており心も不思議と和んだ。いろいろなことがあるものである。
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